気持ちはわかりますが、どうなんでしょう?
2004年3月25日 時事ニュース
03月25日付 朝日新聞の報道「三菱ふそう社長が遺族に謝罪 事故から2年2カ月」へのコメント:
うちのじいさんが亡くなったのは、99年の11月のことでした。
じいさんは、亡くなる10年ほど前からおかしくなり始めて、亡くなる時にはすっかり耄碌していました。
じいさんが死んだことについては、正直ほっとしたというのが、感想でした。バチあたりですね(^^;
しかし、ほっとしたばかりでなくて、じいさんの死は、おれに「宗教ってなんだろう」とかなり考えさせられる出来事でした。
我が家は、浄土真宗であり、節目節目に町内のお寺から住職さんが、お経をあげにやってくるのですが、それ以外は宗教とは無縁で、「おれって無神論者?」となんとなく思っていました。
ところが、じいさんの死と葬式や法事など儀式を経験して、葬式や法事といった宗教儀式は、死者のためではなく残された者のためにあるのだということが、はっきりわかりました。
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葬式から49日にいたる期間は、死者を失った心をゆっくり癒す期間であり、法事は逆に普段忘れてしまっている死者を招いて語り合う場なのです。
残された者は、こうした儀式を通じて「死者をなぐさめている」という実感を得、その実、こうしたことで自分自身がなぐさめられているのです。
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三菱ふそう社長が、トラックの欠陥が原因で亡くなった人の遺族に謝罪したというニュースをテレビで見ました。
遺族の方(被害者のお母さん?)は、社長の謝罪に対して
「正直、誠意が感じられない」
「私の2年間は長かった」
「一番かわいそうなのは、子供たちです」
「あの子も、絶対ゆるさないと思います」
と話していました。
彼女は、2年以上たつのに全く癒されていません。どんなに相手も憎んだところで、死者は帰ってこないのです。それでも遺族に「(死んだ娘を)元のまま返してほしい」と言わせてしまう・・・・・。
おれがここ10年ほど、ずっと感じている違和感です。
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この違和感を感じる度に思います。。。
「現代人は、『人は万能である』と思い込んではいないか」
そんなことを公言する人は、もちろんいないが、実は心の奥底で「人はなんでも可能にする」と感じてはいないか?「欲してかなわないことはない」と思ってはいないか?
・ 美しくなりたいと顔や体を整形する
・ 子供がほしいと、代理出産で子供を得る
ひと昔前は、不可能だったことだ。しかし、人の欲望が現実のものとした。
そして・・・
・ 人は理由なく死んではならない
多くの人がそう思い込んではいないだろうか。
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実は、人は理不尽にたくさん死ぬ。
戦争や病気、事故、飢え、災害・・・、何の罪もなく、どんな理由も存在しないのにたくさんの人は死んでいる。人々は癒しがたい傷を心に負う、だから宗教ができた。
浄土真宗ができたのは、末世思想のときだし、全国に広まったのは戦国時代です。
人が自分の死をおそれないということは、イラクやイスラエルでの自爆テロを見れば明らかだが、人の死を受け入れるということは、極めて大きなストレスになります。
このストレスを緩和するために、人は神と宗教を作り上げたのだと思います。
死に代表される、人の手ではいかんともしがたい理不尽な出来事は、人智のおよばぬ「神の領域」の出来事なのだとして、自らをなぐさめてきたのです。
しかし、近代合理主義と、科学技術の進歩は「神の領域」を人の操作しうる領域へと変えてきました。先に書いた『人間万能』の考え方です。
と同時に、宗教は無用のものと感じられるようになっていきました。
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トラックの欠陥が原因で亡くなった人の遺族の方は、本当にお気の毒です。つらい思いをしているのでしょう。
でも、おれは「もうひとつの社会問題」のようなものが、こうしたニュースの裏側にあるように思えてなりません。
遺族の方は、自分の怒りや悲しみといったことを、加害者にぶつけ、マスコミにぶつけ、世論に訴えます。
しかし、それでは解決できません。怒りや悲しみは消えません。
それは、「傷ついた心の癒し」の問題だからです。
理不尽なことを理不尽とわかりつつ受け入れる。感情のなかから怒りや悲しみを、濾しとっていく、そういう作業が行われなければ、乗り越えられないと思うのです。
かつては、神さまや仏さまがその手助けをしてくれたのですが、現代ではその神通力は失われてしまったようです。。。
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今後も、今日のようなニュースは数え切れないくらい報道されるでしょう。
理不尽な仕打ちをなげいて、加害者を責め、行政を責め、国家を責める。どこまでも、責任を追及し、損害賠償を求め、被害回復を迫る!
「もっと大切なことは、あなたのなかにありますよ」
おれは、言ってやりたいね。
うちのじいさんが亡くなったのは、99年の11月のことでした。
じいさんは、亡くなる10年ほど前からおかしくなり始めて、亡くなる時にはすっかり耄碌していました。
じいさんが死んだことについては、正直ほっとしたというのが、感想でした。バチあたりですね(^^;
しかし、ほっとしたばかりでなくて、じいさんの死は、おれに「宗教ってなんだろう」とかなり考えさせられる出来事でした。
我が家は、浄土真宗であり、節目節目に町内のお寺から住職さんが、お経をあげにやってくるのですが、それ以外は宗教とは無縁で、「おれって無神論者?」となんとなく思っていました。
ところが、じいさんの死と葬式や法事など儀式を経験して、葬式や法事といった宗教儀式は、死者のためではなく残された者のためにあるのだということが、はっきりわかりました。
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葬式から49日にいたる期間は、死者を失った心をゆっくり癒す期間であり、法事は逆に普段忘れてしまっている死者を招いて語り合う場なのです。
残された者は、こうした儀式を通じて「死者をなぐさめている」という実感を得、その実、こうしたことで自分自身がなぐさめられているのです。
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三菱ふそう社長が、トラックの欠陥が原因で亡くなった人の遺族に謝罪したというニュースをテレビで見ました。
遺族の方(被害者のお母さん?)は、社長の謝罪に対して
「正直、誠意が感じられない」
「私の2年間は長かった」
「一番かわいそうなのは、子供たちです」
「あの子も、絶対ゆるさないと思います」
と話していました。
彼女は、2年以上たつのに全く癒されていません。どんなに相手も憎んだところで、死者は帰ってこないのです。それでも遺族に「(死んだ娘を)元のまま返してほしい」と言わせてしまう・・・・・。
おれがここ10年ほど、ずっと感じている違和感です。
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この違和感を感じる度に思います。。。
「現代人は、『人は万能である』と思い込んではいないか」
そんなことを公言する人は、もちろんいないが、実は心の奥底で「人はなんでも可能にする」と感じてはいないか?「欲してかなわないことはない」と思ってはいないか?
・ 美しくなりたいと顔や体を整形する
・ 子供がほしいと、代理出産で子供を得る
ひと昔前は、不可能だったことだ。しかし、人の欲望が現実のものとした。
そして・・・
・ 人は理由なく死んではならない
多くの人がそう思い込んではいないだろうか。
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実は、人は理不尽にたくさん死ぬ。
戦争や病気、事故、飢え、災害・・・、何の罪もなく、どんな理由も存在しないのにたくさんの人は死んでいる。人々は癒しがたい傷を心に負う、だから宗教ができた。
浄土真宗ができたのは、末世思想のときだし、全国に広まったのは戦国時代です。
人が自分の死をおそれないということは、イラクやイスラエルでの自爆テロを見れば明らかだが、人の死を受け入れるということは、極めて大きなストレスになります。
このストレスを緩和するために、人は神と宗教を作り上げたのだと思います。
死に代表される、人の手ではいかんともしがたい理不尽な出来事は、人智のおよばぬ「神の領域」の出来事なのだとして、自らをなぐさめてきたのです。
しかし、近代合理主義と、科学技術の進歩は「神の領域」を人の操作しうる領域へと変えてきました。先に書いた『人間万能』の考え方です。
と同時に、宗教は無用のものと感じられるようになっていきました。
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トラックの欠陥が原因で亡くなった人の遺族の方は、本当にお気の毒です。つらい思いをしているのでしょう。
でも、おれは「もうひとつの社会問題」のようなものが、こうしたニュースの裏側にあるように思えてなりません。
遺族の方は、自分の怒りや悲しみといったことを、加害者にぶつけ、マスコミにぶつけ、世論に訴えます。
しかし、それでは解決できません。怒りや悲しみは消えません。
それは、「傷ついた心の癒し」の問題だからです。
理不尽なことを理不尽とわかりつつ受け入れる。感情のなかから怒りや悲しみを、濾しとっていく、そういう作業が行われなければ、乗り越えられないと思うのです。
かつては、神さまや仏さまがその手助けをしてくれたのですが、現代ではその神通力は失われてしまったようです。。。
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今後も、今日のようなニュースは数え切れないくらい報道されるでしょう。
理不尽な仕打ちをなげいて、加害者を責め、行政を責め、国家を責める。どこまでも、責任を追及し、損害賠償を求め、被害回復を迫る!
「もっと大切なことは、あなたのなかにありますよ」
おれは、言ってやりたいね。
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