恋する技術

2002年9月12日
おれには歳の近い従兄弟がいまして、地元では進学校として名の通った高校に通っていました。

その従兄弟は特に見識が高いわけでもなければ、教養があるわけでもありません。
ただ、『勉強する技術』は持っていたみたいです。


彼は一流国立大学を出て、おれは三流私立大学の卒業です。話せば気が合うし、脳力に違いはないような気がしますが、学歴にははっきりと差ができてしまいました。


なんで?


彼は「受験は技術」と割り切って勉強したそうです。
テストのための勉強をしたそうです。
テストで点を取るために・・・。そうするとある程度のレベルには達するようです。

でもこれって邪道ですよね。本来の勉強の目的とするところとは違うと思いませんか?

社会人としての教養・知識を身につける。
自分の将来の目標のための基礎を作る。
知的好奇心から学問を究める。

学ぶとはこうしたもののためですよね。おれもそういうものだと信じていました。

でもね。
大学とは「学びたい者」を受け入れてくれるというより、むしろ「学ぶに値する人」を受け入れてくれる所のような気がします。


で、タイトルですが。
恋愛もそう「恋いしたい人」ではなく「恋するにふさわしい人」が恋愛の舞台に上がれるような気がします。

恋愛しているのは、学力ならぬ「恋力」のある人なのでしょう。
恋力のない人は「恋する技術」を磨いてそれに対抗する必要がありそうです。

大学に入る学力はないが入りたい人は受験技術を、恋愛する恋力はないが恋愛したい人は恋愛技術をそれぞれ身につけなければならないのでしょうか・・・?


おれって恋力なさそう・・・(泣)

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索